2017年2月23日木曜日

今後の幸福否定学習

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の学習をこれまで次の2側面から楽しんできました。

ア 自分事(グズであるという特性を改善したいという目論見)に始発する興味

これがメインです。

幸福否定という概念、感情の演技という操作を学習実践すれば、自分のグズが解消できるのではないだろうかという期待・興味です。

自分事に関する思考と実践はこれまでのブログ記事(69編)で詳しく記録してきました。

学習・実践は結果として「グズ解消」に効果ありでした。

同時に「感情の演技」という技法の開発は原始状況であることもよくわかりました。

今後さらに学習・実践を積み重ねて、折に触れてブログ記事として記録することにします。

イ 対象物(特異・斬新・革命的に見える「幸福否定」理論・仮説)の検証に関する興味

アの副産物として生まれた興味です。

「幸福否定」という理論・仮説があまりにも革命的であり、同時に感覚的に賛同・共鳴するので、門外漢にもかかわらず、検証したくなります。

「幸福否定」や笠原敏雄氏が世の中に受け入れられていない状況が、否が応でも怖いもの見たさ的感覚を刺激します。

「幸福否定」が本当に生物進化的な本質事象であるならば、その理論によって人類史、考古歴史の解釈が大幅に変わるに違いないと直観します。

自分の趣味の一つである縄文時代や奈良平安時代の発掘情報解釈にも大いに影響を与えるにちがいありません。

この側面での興味も今後さらに学習を深め、折に触れてブログ記事を書きたいと思います。

なお、今後このブログでは笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)をテキストにした学習というスタイルから脱皮して、「幸福否定」「感情の演技」と対照できる他の理論や仮説、実践なども検討してみたいと思います。

世の中に沢山ある理論・仮説・実践から「幸福否定」「感情の演技」を観察してみることにします。

……………………………………………………………………
自分の詳細ふりかえり作業用に作成した過去記事集成pdfを参考までに公開します。

ブログ学習幸福否定記事集成(2016.06.24~2017.02.14)69記事 (3M)

サムネイルや目次リンクもついています。

2017年2月14日火曜日

幸福否定学習の中間総括

幸福否定の学習を進めてきましたが図書(笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版))を何度も読み返し(眺め直し)、また反応を利用した活動や感情の演技(もどき)活動も実践してみて、学習の全体像とか学習効果みたいな総合的な印象を持てるようになりました。

そこでその学習の印象を表にまとめてみました。

幸福否定に関する学習の中間総括

幸福否定に関する興味は、自分の趣味活動改善に効果があるのではないだろうかという期待から出発しました。

その期待は、当初想定した期待ではありませんが、「反応」の利用という点でかなり満足することができました。

一方、当初期待感を持った「感情の演技」実践・応用という点では、今一もやもやしています。

4~5か月のスパンでみれば、この学習前と比べて、自分の趣味生活は向上しました。

しかしそれが「感情の演技」由来であるかどうか判断できません。

はっきりと効果を自覚できないので、効果があったとは言えません。

なお、趣味活動改善という期待とは別に、新たに、幸福否定理論を活用すれば歴史理解の有用な道具になるに違いないという別の期待感が生まれました。

著者がいうように幸福否定という心の事象が本当に汎人類的(生物進化的)なものであるのか、社会の複雑性が増大した現代社会特有のものであるのか、よく確かめたいと楽しみにしています。


2017年2月1日水曜日

感情の演技に関する誤解が解ける

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)における感情の演技に関する次の比喩説明の理解について誤解が解けたような気がしますので、メモしておきます。

次の記述の太字部分に強い違和感を感じていました。

……………………………………………………………………
感情の演技を効果的に行なうコツについて

感情の演技を効果的に行なうには、コツがあります。

それは、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を設定するということです。

一般的なコツは、目標とすることをできやすくするための工夫という意味ですが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。

それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。

棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。

実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。

それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。

具体的にどのようにするかについては、次項で説明します。

実際に素直な感情を作るのは非常に難しく、わずか2分であっても、最初は集中すら難しいかもしれません。

何度か繰り返すと、集中はある程度できるようになりますが、それでも感情を作るのは難しく、先に述べたように、むりやり作ろうとすると、あくび、眠気、身体的変化という3種類の反応のどれかが出るようになります。

そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。

そこが自己暗示と全く違うところです。

感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。

目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版、2016.06)から引用
……………………………………………………………………

1 これまで感じていた違和感

私は、スポーツ棒高跳び練習では一般に練習して低いバーを跳べるようにすると考えます。

それが跳べて初歩的な自信がつけば、もう少しバーを高くして、練習して、跳べるようにすると思います。

少しずつバーを跳ぶという実績、自信を積み重ねて、いつぞやに世界新記録まで出るようになるのだと考えています。

一方、「棒高跳びを例にとって説明すると、バーを低くすれば簡単に挑べますが、それでは実力は伸びません。実力を伸ばすためには、バーを簡単には跳べない高さに設定する必要があるのです。それが跳べそうになったら、バーをさらに高くします。」という方法では世界記録はおろか、進歩ができないと考えます。

このような非合理練習法はあり得ません。

そのような非合理練習法である感情の演技に疑念を持ちました。

2 解けた誤解

ふと、20代の終わり頃禁煙に成功したプロセスを思い出したとき、自分の誤解が解けました。

日に50本はタバコを吸っていたのですが、2回禁煙に失敗して、3回目に禁煙に成功しました。

禁煙3日目頃喫煙欲望が最高潮になりました。

その時、禁煙成功の喜びを味わうために、とにかく1週間だけ喫煙欲望を抑える苦しみに耐えようと考えました。

3日程苦しみに耐えるといつのまにか喫煙欲望はおさまり、結局禁煙に成功しました。

この禁煙体験の中で、禁煙成功の喜びを味わうために、とにかく喫煙欲望を抑える苦しみに耐えるプロセスがあるのですが、それが感情の演技と似ていると直観できたのです。

禁煙活動と感情の演技が同じかどうかはわかりませんが、「棒高跳び」比喩は次のように理解すべきものであることが判りました。

感情の演技を棒高跳びを例にとって説明すると、バーを簡単には跳べない高さに設定して、それが跳べそうになったら、バーをさらに高くするという跳べない苦しみを味わうというものになります。つまり実際のスポーツ練習とは異なるものになります。抵抗に直面するという苦しみプロセスそのものに治療効果があるのです。

誤解が解けた上に、感情の演技の合理性、有効性に関する認識が直観的に深まりました。

感情の演技とは意識と無意識の折り合いをつけるプロセスだと考えます。

思考と感情の折り合いをつけるプロセスだと理解してさらに学習を深めたいと思います。

風景