2016年12月20日火曜日

目的を手段化することにより取り組みやすくなる

観念的、思い付き的感想ですから、後で役立つメモとなるか、スカとなるかは不明ですが、とりあえずメモしておきます。

生活で各種大小の目的(したいこと)が生まれます。

その目的(したいこと)の前に幸福否定現象が立ちはだかり、自分の能力の無さ、意気地なさなどを思い知らされます。

このような時、その目的(したいこと)が実はより高次の目的達成のための手段、道具であると認識すると、その高次の目的達成に対して幸福否定現象が立ちはだかるように変化するようになるのではないだろうかという仮説です。

高次の目的を達成するための一つの手段、道具になり下がった最初の目的は、自分にとっての意義が減少し、幸福否定現象の発生が弱まるような気がします。

つまり、幸福否定現象を見かけ上回避するために策として、幸福否定現象に悩む目的(したいこと)を手段化、道具化するような高次の目的を構築すればよいということになります。

一般例で考えると例えば次のような状況を想定することができます。

1 目的が手段化、道具化していない場合

職業や生活上で、ある重要レポートを作成する状況になった時を想定します。

そのレポート作成が社会的に見て、自分にとって大切であり、当面乗り越えるべき課題であると考える事になったとします。

一方、その期限は先であり、他にも取り組むべき作業・業務は沢山ありますから、そのレポート作成になかなか手が付きません。

仮に時間がうまれても、そのレポート作成をする気になりません。(幸福否定現象発生です。)

そうこうしているうちに締め切り直前になり、前日徹夜でレポートを仕上げることになります。

仮に、レポートの質が合格点に達したとしても、最良のものに仕上げることは困難です。

2 目的を手段化、道具化した場合

重要レポート作成を次のような「真の目的」「高次の目的」達成の手段であると考えたとします。

例1 中長期的な観点から自分の地位向上(立身出世)を目的と考え、重要レポート作成をそのための能力誇示の一例として組織に示す。

例2 属する組織とは別に自分が独自に(密かに)行う個人研究の一環にその重要レポート作成を位置づける。

例3 …

要するに、自分の目的、興味、したいことは地位向上であり、あるいは独自研究であり、あるいは…であった時、重要レポート作成はそれらのより大切な目的の下に隠れてしまいます。

重要レポート作成に自分の意識焦点が全面的に当たらない状況が生まれます。

そのような状況では、重要レポート作成は順調に進む場合が普通ではないかと考えます。

したいけれどもできない状況が発生し、悶々と苦しむような状況は発生しないと考えます。

なお、「真の目的」「高次の目的」である地位向上とか独自研究とか…とかはその領域で形を変えて幸福否定現象が発生することになるのだと考えます。

風景


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