2016年11月15日火曜日

幸福否定現象の一環としての記憶消去

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)では幸福否定現象の一環としての記憶消去が随所で語られています。

例えば次のような記述がみられます。

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人聞は、何らかの出来事や状況に直面した時、それが幸福感を呼び覚ますものかどうかを、つまりは、それが自分の進歩につながることかどうかを、心の奥底で一瞬のうちに正確に判断します。

そして、それが幸福感を呼び覚ますものであれば、その瞬間にその幸福を避けようとする態勢に入ります。

その時、「内心」は次のふたつの戦略を同時並行的に使います。

ひとつは、いわば幸福に水を差す形で、心身の症状を瞬時に作りあげたり、行動の異常を起こしたりすることです。

もうひとつは、幸福感を呼び覚ます出来事や状況の記憶を、意識から一瞬のうちに消し去るという操作をすることです。
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自分毎として幸福否定現象を観察したとき、記憶消去はありうる、あったに違いないと理解するのですが、具体例を思い出すことはしませんでした(できなかった?)。

ところが、趣味活動の中で、これが「記憶消去」かと本日感じたことがありますので、メモしておきます。

私の趣味活動では花見川や下総台地や千葉県を対象に地形、考古歴史、地名などについて探求的学習を行ってきて、随時ブログ記事にしてきています。

自分毎ながら随分と面白いことを考えつくものだと自己満足しています。

そこで、日々のブログ記事をまとめて論説にしたいと考えるのですが、それに対してアーダ、コーダという屁理屈をつけていっこうにしようとしません。

自分にそうしたことをするだけの基礎的力があることは確実です。

しかしそれが出来ないのですから、幸福否定現象の一環であると考えています。

この幸福否定を緩和しようという算段でこの数日ブログ記事をまとめる活動をし出したのですが、その中で、1年前にもほとんど同じ発想で同じ活動を始めて、過去5年間のブログ記事リストを作成し、その記事テーマの概要を作成した資料を「発見」しました。

1年前に多大な労力をかけてブログ記事とりまとめ作業をかなりしているのです。

その記憶が完全に消去されていたことに気が付かされたのです。

単なる物忘れではなく、自分の趣味活動を発展させるためには重要であるがために意図的に消去されたと実感できました。

自分にとっては重要な気づきとなりました。

記憶から消去されていたブログ記事テーマをまとめた資料




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