2016年10月22日土曜日

損している「幸福否定」

このブログでは笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)の学習の様子をメモしています。

幸福否定の原理発見は素晴らしいことだと思います。

学習すればするほど興味が深まります。

1 幸福否定が受け入れられない理由とその意味

さて、著者がたびたび書中で書いているとおり、この学説は世の中にほとんど受け入れられていないようです。

心理療法専門世界、心理学専門世界のことは全くの門外漢なのでなんとも言えませんが、「幸福否定」学説は専門世界で受け入れられていないようです。

その最大の理由は著者がやはり何度も繰り返し説明するように、専門家を含めて「反応」が発生(存在)するからだと思います。

そして専門家を含めて人は自分自身に発生する「反応」を気軽意識的に客観化できないのですから、なおさら「幸福否定」の理解が進みません。

しかし、そもそもの話として「幸せを拒む病」のなかに「反応」を利用した「本当にしたいこと」探求方法が出ているくらいです。

ですから、「幸福否定」学説に「反応」を示す社会の様子は、社会が「幸福否定」を「本当のこと(本当はそれが正しいこと)」と捉えていると理解することができます。

現状で「幸福否定」学説が社会に受け入れられない状況は「幸福否定」が「本当のこと」であるからに違いないと思います。

「幸福否定」が「本当のこと」なのですから、いつの日にか「幸福否定」学説サイドの態勢が整えば、「幸福否定」学説が一気に社会に受け入れられると想像します。

2 「幸福否定」が損している点

上記1は「幸福否定」学説と社会に関わる本質的問題です。

それとは別に、素人ながら「幸福否定」が損していると考える事柄がありますので、メモしておきます。

「幸福否定」という名称、表現がこのノーベル賞級学説の理解普及を妨げていると考えます。

私は「幸福否定」という表現より「したいこと否定」という表現の方が心の現象をより正確に表現しているように思えてなりません。

心の病気に侵された人がその病気に打ち勝ち、健康を取り戻すことは確かに幸福になることです。

しかし、幸福という言葉には価値観が含まれます。

過去から現在まで哲学などの諸分野で論じられた幸福論は膨大なものがあります。

新興宗教なども幸福という言葉を使います。

ですから「幸福否定」とい言葉を聞くと、その背後にどのような価値観があるのか気になります。

心の仕組みのなかに自分のしたいことを否定する機構があると説明されれば単純に納得できる場面でも、「幸福否定」ということばに向かい合うと身構えてしまいます。

「幸福否定」という名称、表現がそれの理解を妨げていて、損をしていると考えます。

風景



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