2016年9月1日木曜日

内心抵抗の見える化

2016.08.25記事「睡魔の心理的原因を感情の演技で特定する実験 計画」で書いた通り、感情の演技実験を開始しました。

「ある感情の演技実験を行って、それをその日にブログ記事にする」という単純活動を想定していたのですが、実験するに従って背景理論の思考を深めたくなったり、実験結果の意味についても検討したくなりました。

実験結果の一通りのまとめはでき次第記事に書きたいと思います。

この記事では実験の中で頭をよぎった内心抵抗の見える化についてメモしておきます。

1 心の3層構造

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)で書かれている心の3層構造図解を自分なりに書中文章を追記して理解しやすくしてみました。

心の3層構造

2 感情の演技と内心抵抗の見える化

感情の演技に関する記述を書中のあちこちから抜き書きしてまとめて、感情の演技の特性を自分なりに把握します。

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うれしいという感情を中心に、素直な感情を作ってもらうのです。

感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、なるべく難しい条件を選んで行なうほうが効果的なのです。

それは、感情を作ろうとする努力を通じて、幸福に対する抵抗に直面させることこそが、治療に直結するからです。

反応とは、幸福を否定しようとする心の層である内心が、そうした感情を作らせまいとして、一瞬のうちに自分の体を操って作り出す現象ということになります。

そうした反応を押して、むりやり感情を作る努力を重ねることが、そのまま治療につながるのです。

そこが自己暗示と全く違うところです。

感情ができなければ治療に結びつかないのではなく、感情ができなくても、感情を作る努力を重ねてゆけば、自然に好転に向かうということです。

目的は、感情を作ること自体にあるのではなく、抵抗に直面することにあるからです。

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つまり、感情の演技とは反応(あくび、眠気、身体的変化)という肉体的客観現象の体験(観察)を通じて、内心の抵抗を見える化するということです。

感情の演技を繰り返すと治療効果があるという笠原敏雄先生の治験は、内心の抵抗が一定の秘匿性環境下でその機能を発揮していて、見える化するとその機能が弱まるという特性を物語っています。

さて、感情の演技という実験ではなく、実生活で反応が生まれた時、その反応を呼び起こした内心の抵抗が見えたと感得できれば(そのような思考を行えば)、内心の抵抗が弱まっていくと素人ながら思考します。

3 創作活動における産みの苦しみと内心抵抗の見える化

笠原敏雄著「幸せを拒む病」(フォレスト出版)第3章の「幸福否定による現象② 自分の進歩や成長を嫌う」の中の小項目「創作活動と抵抗」を次に引用します。

自分の趣味活動は遊びではありますが創作活動であることは間違いありませんから、次の引用から思考を深めたいと思います。

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昔から“産みの苦しみ” という言葉があるように、作家や芸術家は、創作活動に際して苦しむことが知られています。

その苦しみは、一般に受け入れられやすい作品を作る時よりも、自分を満足させる作品を作る時のほうが、一般にはるかに強いものです。

それは、人に評価された時の喜びよりも、自分を心底から満足させることができた時の喜びのほうが、はるかに大きいためです。

著名な評論家だった小林秀雄が、旅館にこもって執筆している場面を、たまたま目撃したある文芸評論家は、後年、その経験を小林の妹に次のように伝えています。

書く人はみんな苦しみますよ。

でも小林先生の苦しみぶりは全くひどいですよ。

私はどこかの旅館で小林先生が仕事をしていらっしゃるところを、ちらりとみたことがあるんですがね。

部屋の中を四つんばいになって這いまわっていましたよ。

(高見沢、一九八五年、ニニ二ページ)

まさに産みの苦しみという形で、自分の体にそのような反応が自然に起こってしまったということなのでしょう。

もちろん、強い反応が出れば、それだけでその作品が優れたものになるという保証があるわけではありません。

とはいえ、妥協することなく、その反応を乗り越えて作品を作り出すことができれば、他人の評価はともかく、自分をうそ偽りなく喜ばせる作品になるのはまちがいないでしょう。

おおまかに言えば、反応から逃げて楽な方向へ向かうのではなく、反応が強く出る方向に進めばその分だけ、自分が心から満足できる作品に近づけることができるはずです。

現に、小林秀雄は、「苦しまなくては、本当の喜びはない」と語っていたそうです。

その言葉は、自分が本当にしたいことをしようとすれば、必ず苦しみを伴うという、長年の経験から生まれた確信なのでしょう。

内心が作りあげるものであるとしても、そのような関係があるのは確かだからです。

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小林秀雄は四つん這いになって這いまわって苦しんだ、つまり反応に苦しんだということです。

そしてその苦しみのなかで内心の抵抗をよく観察する(見る)ことによって、内心が秘匿環境下で抵抗を繰り広げる状況を狭めたのではないかと考えます。

小林秀雄の苦しみは、実は小林秀雄が自分の内心を見える化している姿であり、見える化することにより内心の抵抗を弱体化している姿であると考えます。

内心の抵抗に直面して苦しんだとき、その状況を客観視(甘受?)して、その状況に留まることができれば、さらにはその状況を繰り返すことができれば、内心の抵抗は弱体化するということであると素人思考します。

このように考えると、感情の演技の意義が大変大きなものであるとともに、感情の演技という実験知識を活用して、実生活の中で内心の抵抗を弱体化させるスキルの創出可能性も生まれます。

4 内心抵抗の見える化

自分自身の趣味生活における内心抵抗として睡魔という反応が存在します。

内心は睡魔という反応を肉体に生じせしめて、私が睡魔に耐えられなくなって趣味活動から離れるように仕向け、それにより、私が特定状況下では睡魔には勝てない意気地なし、弱虫であること、つまり「いわゆる自尊心の低い“自己像” が作りあげられます」。

そうして作りあげた自己像を見せる相手は、他人ではなく、あくまで自分自身なのです。

睡魔が発生するのは、娯楽的にパソコンに向かっているときには生まれません。

特定状況下でのみ生じます。

その特定状況をA状況と呼ぶことにします。

A状況とは例えば次のような状況です。

・単調で長時間の単純作業

・多要素を同時に判断するような複雑・煩雑な作業

・スキルがないのに高度なソフトを操作する場合

・専門知識がないのに専門資料を解読する場合

・素材(情報)が無いのに分析を始めた場合

・分析視点が不明確なのに分析を始めた場合

睡魔発生の真の原因がA状況であるのかどうか、不明ですが、いつも必ず睡魔発生の背景にA状況があります。

内心抵抗とA状況とが密接な関係にあることをこれからは絶えず意識することにします。

したがって、睡魔発生の場合、関連する具体的A状況を確認して、その状況の改善を図りながら作業を続け、睡魔と戦ってみると内心抵抗の見える化を促進できるのではないだろかと考えます。

単純に睡魔に耐えるだけではなく、反応に関係するA状況を特定して、その改善を図りつつ(つまり内心抵抗の存在を意識しつつ)趣味活動を続けてみると、内心抵抗の弱体化が図れるか、試してみることにします。

内心抵抗があった場合、その状況に踏みとどまり、その状況をある程度甘受してみる(意識してみる)ことが、直ぐに離脱する場合より良い結果を生むかどうか、試してみることにします。


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